ション鞭小僧

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イヤフォン生活

2008年12月 4日

ipodを買って1ヶ月ほど経つ。なくてもいいよね、あんなものと思っていた私だが「ややや、かなり楽しい」という現実に、みなさまから遅れること数世紀、ようよう気がついた。私の棚に収められた幾ばくかのCDコレクションから、お気に入りのディスクたちをipodに突っ込んで楽しんでいる。よろしいなあ。

自宅ではヘッドホンをつなげうろうろ(オーディオもあるが、大音量では聴けないからやっぱりヘッドフォンなのですよ)。外出時にはイヤフォンをつなげて楽しんでおる、つうわけ。新宿という希代の大都会を歩きながら「英雄の生涯」をドカドカ鳴らしたり、「我が生涯より」を聴いてため息をつく、「ヴェーゼンドンク歌曲集」を聴いて涙するなんていうのは私にとって何とも新鮮な体験である。ニヤニヤしてしまう。ギャルらからキモい、と思われるかもしれぬがそこは、キモいと言うおまえがキモい、とぜひ、言い逃れたい。

それで気がついたのだけれども、街ゆく人たちの、なんと多くの人がイヤフォンをつなげて音楽を聴いていることか!しかも注意深く観察してみると、そのうちの多くの人が白いイヤフォンをつなげているようである。昔はイヤフォンのコードと言えば黒いもの、なんていうイメージがあったように思うのだけれども。おしゃれは足下から、おしゃれはイヤフォンから。

しかし、徒歩イヤフォンは結構あぶない。そもそも片耳の不自由になって以来、私は音がどこから聞こえてくるか、音の方向感覚がものすごく鈍くなったので、歩行の際には音に気をつけ、後ろを振り返りながら歩くようになっているのだが、イヤフォンをして道を歩くのはもっと危険である。なにかにつけ後ろを振り返り振り返り歩くことになる。みなさんも事故には気をつけていただきたい。

男は・・・・つらい

2008年11月29日

ブルックナーの交響曲は長い。ワーグナーのニーベルングの指輪はもっと長い。しかし、それらを遙かに超越する作品をご存じか。うふふ、わからぬであろう。それも無理はない。それは!・・・・「男はつらいよ」である!ババーン!!

劇場公開されたのは全48作プラスおまけ1作の49作品。仮に一作品を90分で計算したとしても4410分。74時間近くなるわけである。ワーグナーのリングがせいぜい14時間であることを思えば、全く相手にならない長さであることがすぐに理解できよう。1969年に第一作が公開され、渥美清の死により最終作となった48作目が劇場にかかったのは1995年。ギネスにも認定された、とことん長い作品である。

しかも、ワーグナーとは異なり、はははははははと笑って鑑賞が可能な点も見逃せない。時にワーグナーの長さは拷問となりうるのだが、寅次郎シリーズはそのようなことは全くない。はは、楽しいね。美しいご婦人も毎回出てますし。ちなみにワーグナーの指輪には非常に多くのライトモチーフ(このメロディーが出てきたらそれは何を意味する、とかいうお約束ごと)があるが、寅さんシリーズにも、寅さんはいつまでたっても結婚できない、とか、タコ社長は資金繰りに絶えず苦労する、とか、御前様は笠智衆、なんていう決まり事が存在する。

そして私は本日、ついに、寅次郎ハイビスカスの花特別編(劇場公開49作目)を観たことで、約1年間かかって、全作品を見終えた事をここに報告できることは大いなる喜びである。この49作目はほとんど25作目と同じなのでアレなのだが、事実上の最終作である48作目を観たときは、とりわけその後半は涙で目がぼうとかすみ、まともに観ることが出来なかったのだ。あまりにも壮絶な記録であった。

いやー全部見ましてね、というと、たいてい、どれが一番面白かったのか、と聞かれるのだが、どれがよかった、などという点は些末な問題のように思われる。私はそのような質問を受けたときには、「倍賞千恵子の若い頃の可愛さが猛烈に圧倒的でした」あるいは「松坂慶子は卒倒級の美人でした」「若尾文子の和服姿がたまりませんでした」「大地喜和子がまだ若くして亡くなったのは非常に残念でした」などと答える。そうするとははあ、と、わかったようなわからぬような返事が、あるいは若干の冷笑が返ってくる。一緒になって盛り上がれないのが哀しい。残念だ。日本人は日本人の心を失ってしまったのではないか?(テキトー)

私という人間は、基本的にはヨーロッパ音楽にうつつを抜かしている人間だが、日本人でよかったと心の底より体験できる作品の一つとして、この男はつらいシリーズを皆さんにも是非体験してもらいたいと感じる。そうしてついでに、柴又の帝釈天参道なんかに行って、さらなる追体験をするのも悪くはなかろうと思うのである。先週の日曜は楽しかったぞなもし。

Book 1st 新宿店 讃

2008年11月12日

そうだ、あれ、買おう。と思い立ったが吉日、出かけていってお買い物をするのだけれども、部屋に戻ってくれば、そもそも買おうとしていたあれを買わず、別の何かが手元にある。うっかりものの私はそのような体験がしょっちゅうである。ネットでのお買い物の場合はそのような事は起こらないのだけれども、現地でうろうろと歩き回っていると目移りするするよね、はは。

あれは今年の夏前だったか、西新宿に巨大なBook 1stが11月に出来ると知って以来、私はそわそわしていた。首を長くして待っていた。なんせ私という人間は、近所に本屋とCD屋と映画レンタル屋とスーパーマーケットがあればそれでほぼ充足してしまう人間なのである。酒屋もあるとうれしいが、ま、それは、まま、ま。

そんなわけで6日にオープンしたBook 1stに行く日が私にもやってきた。今日の21時の出来事であった。新しく建ったモード学園コクーンタワーの地下である。自宅より楽々徒歩圏内、自転車で3分のところに巨大本屋があるなんて、目眩がするではないか。ああ、想像しただけでちびりそうである。いや、新宿には既に紀伊国屋とかジュンク堂なんかがあるわけだが、なにせそれらは何れも東口であるからには、私のように西に住む人間からしてみれば、陸橋を越えたり、大ガードをくぐったりなんかしないといけないわけで、いささか面倒だな、と思っていたのである。西口にも、おっきな、本屋が、欲っしいいいいい、と念じていたら、あら不思議、出来た。

巨大であった。地下1,2階に広がる激烈な本棚群は建物の外観からはとても想像出来ぬ広さ。となりのスバルビルにも食い込んでるんではないかと思われる果てのなかなか見えぬ奥行き。私は感動した。男気溢れる膨大な広さを最大の賛辞を以て迎えたい。既に新宿駅真上に2店舗も抱えているのに西口にも出店してやろうという無謀な心構えも強く買いたい。彼らがまかり間違っても撤退しちゃったりなんかしないよう、がんばってここでビンビン買っていきたい、と私は決然としている。

私は今晩、最近ネットでも何かと話題の水村美苗氏の新刊「日本語が亡びるとき」を買ってやりましょうね、オモチロそうですからね、と意気込んで行ったのである。結論:合計9,000円なんちゃらと書かれたレシートにその本の名前は見えず、ビルギット・ニルソンの自伝、ヴォネガットの小説やNHKラジオ実践ビジネス英会話なんかがいくらいくら、つって書かれて居った。

気持ちをしっかり

2008年10月14日

病は気持ちからやってくるとか。私は気の持ち方がよいのだかどうだか、滅多と風邪を引いたり体調を崩したりしないのであるけれども、それにしても、心の持ちようと言うのは精神的も肉体的にもおおきに影響をするのではないかと考える今日この頃である。ま、たとえばタバコ。ところで、私はタバコをやらないし今後やる事もないであろうなと思っている。極端なまでの嫌煙家ではないけれども、積極的にやってみたいと思うわけではない。基本的には避けたい。

で、タバコは健康に悪いという。ま、タバコに関しては気持ちの問題で病気になるならないが決まるわけではないのだろうけれども、音楽をやっている人の間ではこのタバコというのはなかなか繊細な問題を抱えている。音楽家の間でタバコはどのように考えられているかご存じであろうか。私のこれまでの体験に基づいた偏見で言うと次の通り。

鍵盤楽器=まあ、モクモクオッケー。灰が鍵盤に落っこちない程度にやります。時々落っことすけど。弦楽器=モクモクモクモク吸いまっせ。だって音程が合わなくてストレスだもん。指揮者=バーンスタインに習いいい、吸えやあ!!吸ええええ!作曲家=自宅には五線譜帳と灰皿しかありませんし家から出るときって言うのは自販機にタバコを買いに行くときだけです。不健康ですって?何が?

とまあ、そのようになっている(あくまで偏見)。しかし、管楽器はどうか。吸うと演奏に影響がありそうなものだが、これが意外にも吸うんである。管楽器は肺活量が落ちるから吸っちゃだめだなんてよく聞いたものだけれども、意外なことにまあまあの確率の人が吸っている。誰とは言わぬが世界第一級のソリストだってオーケストラ団員だってスパスパと、やる。へえ、と感心すると、そんなの(肺活量に影響することは)ないねと、もわ、とやる。なかなかかっこうよく決まっている。なお、金管と木管の間に吸う率の差は特にないように思われる。おもしろい。

しかし、声楽家はどうか。のどを酷使する職業である。さすがにないだろうと思いきや、これが意外にである。私は昔、バリトンとかバス歌手は、吸えば吸うほど、また(酒を)飲めば飲むほど声が低くなっていい声がでると聞いて呆れた事があるのだが、最近になって、誰とは言わぬがある著名なテノール歌手(イギリス人。折に触れベルリン・フィルなんかとも共演しているクラスの人)がヘビースモーカーであると聞き、また実際に駅ホームでスパーっとやっているのを見、腰を抜かした経験を持つ。ななななななんであなた、そんなピュアーなヴォイスーをお持ちなのに、煙モクモクーで大丈夫ーなんですか?と私はすっ転んだ。

この御仁は、コンサート直前にガンガン声を出すことも気になさらぬようで、本番4日前からはピタッとしゃべることすらやめてしまう、なんていう歌手のことをふふんと鼻で笑っていた。「スポーツ選手が試合前何日も体を動かさなかったら筋肉が落ちちゃうでしょうに」。結論として、なんだかようわからんけれども、病は気からなんであることだよなあ、なんつって感じるのは私だけではないと思うのだけれども。

ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて

2008年10月 9日

ベルリン・フィル、この名前に胸をときめかしたことのない人はないと思う。私は勝手にそう思う。世界一と言われ続けて4000年、化け物と呼ばれる才人たちのガンガン集まっているオーケストラ、それがああ、夢のまた夢、ベルリン・フィルである。もうすぐ来日をするけれども、チケットはベラボーに高額である。日本に来ようと思ったらそれだけ経費がかさむもんね、なんて、そらあ冷静に思わないでもないが、それにしても高い。ふざけていらっしゃることであるよなあと思う。私なんかにはとうてい払えぬ。私に出来ることと言ってそれはせいぜい自宅で、26インチの世界の亀山モデルで彼らの過去のDVDを鑑賞する程度である。

そんなあなたにもちょっとばかしの朗報。映画がやって来るのである。来月の頭より、渋谷のユーロスペースで公開の始まる「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」。アジアツアー2005のドキュメンタリーである。これは・・・見てみたいではないか。ベルリン・フィルがなんと1700円で見られるのである。安いね。生だと10倍以上払わないといけないかもしれないのに、それがたったの1700円ぽっきりである。そらあもちろん、生の方がええですけど、ドキュメンタリーだって面白そうですやん。

なんせ、ベルリン・フィルとか、カラヤン(物故人)とか、その名前は燦然と世界中に轟く有名だけれども、一人一人の団員に関しては私たちは実はあまり知らない。「ベルリン・フィル」としてひとくくりにしてしまっている方も多いだろう。せいぜい、パユとかバボラークと言った、ことのほか傑出したモーレツ!タレントを知っている程度ではないか。しかしメンバーはいずれもトップ奏者、秀でた職人たちなのである。予告編で「おそらくこれが最後のツアーだ」と語るファゴットのトロークさんしかり、あるいはアメリカよりお越しのホルン奏者ウィリスさんしかり。ま、いってみれば工場見学ツアー、それに近いものがありますな。

とりあえず行ってみようかなと私はゆるく決意をしております。

カルガモ!

2008年9月27日

予定通り引越した。昨日午前中、引越した。渋谷区から渋谷区に、引っ越した。近頃ゾウさんが倒産したなんちう出来事があったため、料金前払いをしていた私はほんのごくわずかだけドキドキしていたのだが、カルガモさんは予定通りやってきた。4階(エレベータなし)から4階(エレベータなし)という哀しい条件の中、大汗を流しながら運んでくれた。私はどれだけ感謝していることか。冷蔵庫を洗濯機を、一人で持ち上げ繰り返し繰り返し上下するカルガモさんに私はどれだけ感動したことか。「うおっ、これ何が入ってますか?」「そこらへんは全部本です」。本は重いんである。ありがとうありがとうカルガモ。

業者に引越を頼んだんは生まれてこの方初めてやったもんでどんだけのもんなのかは解ってないけれども、カルガモ、最高です。いや、実際に契約をしたのはカルガモと提携しているとかいうミキ引越センターという会社(サイトのURLがいいですね)やったんですけども、運んでくれたんはカルガモだったんで、私にとって今回の引越はカルガモだったのです。ありがとう、カルガモ。またいつかカルガモ。いやむしろ明日にでもカルガモしたいガモ。

インターネットも光になって無事に開通し、電話も光になって無事開通した。ガス水道電気もオーケー、こまごまとした点はまだ残っているが98%っていうかなんていうか、完了したと思われる。お疲れ様でした、自分。

さっそくだが近所の、今後利用することになるであろう超市、といって解らなければそれはスーパーマーケットで見つけたベルギービールその他を買って来、お好み焼きなんぞを作ってひとり乾杯。これがいつか二人になり三人になりする日は来るのかな。だとしたら早く来て欲しいな、なんてって、アルコールで霞んだ頭で考えつつ夜と相成った。お好み焼きにはニラをたくさん、入れてみました。

そういえばベートーヴェンは引越をしまくっている。私は若干耳が不自由であるし、若干引っ越し回数が多くなってきたので、ひょっとしてこれはベートーヴェンに近づけたかも?なんつって思っている(いません)。

セイジ、ガンバル、オペラ

2008年9月17日

セイジはドイツ語を解さない、イタリア語を解さない。というなかなかへヴィ級に重たいコメントを最近、元ベルリン・フィルの著名管楽器奏者から聞いた。これは何か。小澤氏の頑張るオペラについて。念のため申しておくと、小澤氏は素晴らしい指揮者だという前置きがあっての話。うむ、うむと頷く私。

オペラはやっぱイタリア語とドイツ語が中心になっている。小澤氏の音楽監督を務めるウィーン国立歌劇場でも、両言語によるオペラは主要なレパートリーとなっている。さ、そこで考えてみて頂きたい。歌舞伎、能を演じる欧米人を観、心の中で微笑をしない日本人は一体何人いるのか。そうでないと誓って断言できる人はよほどの方である。出来た方である。私は多分、無理。それと同じ感情が欧米人にもある。特にヨーロッパ人には絶対ある。仮に七回転んで八回起きても、やっぱある。そうね、ライバルは卓球少女愛ちゃんかな、なんつってやたら意味不明に韜晦してみた回答をする人にはなおさら、ある。

指揮者はどれほど秀でた耳をもっていようと、実際の演奏にあって大切なのは演奏家、つまり平たく言うところのオーケストラおよび歌手および合唱団なんかが指揮者に付いて来るかどうかである。指揮者がどんなにすんごい事を言っても、どんなに耳がよくても、特にオペラの場合は指揮者がイタリア語やドイツ語を理解していない(ウィーンではドイツ語ですか)場合、ケッ、なんつってひねくれる人が少なからず、程度の差こそあれ、いると思うわけ。

どんなに凄い指揮をしようと、奏者が乗り切らないと言うことはいい演奏にならないであるよね。いや、そもそもオーケストラが乗り乗りで参っちゃったな僕、なんてことは滅多にないんであるけれどもそれでも。

結論として先生、だからセイジは「スペードの女王」をよくやっているような気がするんでしょうか、ロシア語話す人なんてウィーンにはあんましいないでしょうし、うわっ、うわーっ、なんつって質問を、なんとなれば聞いてみればよかったかな、と思ったのは既にその奏者のもとを辞し夜もはるかはるかに更けての事であった。いや、仮にセイジがドイツ語イタリア語を解したとしても、別の言い方で似たようなケチはつけられそうな気もするのだけれども。

引越倶楽部

2008年9月15日

引越します。引越しはじめました。引越しありマス。要するに引越すんである。2年間お世話んなった渋谷区の住処を離れて・・・渋谷区に移動する。町名は変わる。9月末に更新があるため、それを期に引っ越すわけだけれども、出んければならぬ日が迫って来るのにも関わらずなかなか決まらず、おろおろ、よちよちしていたその矢先の発見であった。即断であった。すなわちこれ万々歳であった万歳三唱であったと云爾(しかいう)。

考えてみるに私は引越をしている方の部類に入ると思う。この10年の間に狛江→立川→京都→ブリュッセル1→ブリュッセル2→渋谷1→渋谷2、とまあ、このように移動してるわけであるね。6回である。多い。引越貧乏。吾輩は貧乏である。貯金はまだ無い。どこで使ったかとんと見当がつかぬ。

そんな私の今回の希望条件は、渋谷区、目黒区、港区、中央区。鉄筋、本とCD類が若干多いので本・CD棚をずらっと並べられるスペースのあること、専有面積あらまし25平方メートル以上30オーバー歓迎。大通沿い及びロフト不可、一口コンロ絶対!反対!!!であった。

まあ、世の中銭ですから、銭さえ積めばいくらでもいいところに住めるのは私も知らぬではない。しかし私が自分と相談した結果「どやー!」つって提示する月額(もちろん一桁台)、あまりにそれが厳しい条件だったため不動産屋A社は絶望して頭をかかえ、B社はアハアハと笑ってごまかし、C社ははなから取り合ってくれず、D社からは、はあ?中目黒?麻布十番?松濤?田園調布?旧軽井沢?ムリムリ!と訓告を受けた。しかしながら最終的にはよろしげな物件が見つかってうれしいわあ、と感歎している。鉄筋最上階角部屋南向眺望絶佳駐輪場有管理状態良好代々木公園至近新宿徒歩十分。

来週は現在の部屋近辺の神社でお祭りがあるという。それを見届けて後、引越す。

バイロイト祝祭劇場ツアー

2008年9月14日

バイロイトはワーグナーの聖地。で、あの、ノイシュヴァンシュタイン城を建てた王様ルートヴィヒII世が、ワーグナーに傾倒し、金をひたひたと注ぎ込んで建てたのがバイロイト祝祭劇場であるというのは有名な話。この建物が木製であるというのは有名な話。

そして、ここがワーグナーの俺様世界全開の建物であることは有名な話。眠られたら腹立つから椅子にクッションがないとか、途中で帰宅られたらムカツクから縦の通路がないとかいうのは有名な話。オーケストラピットにふたがついていて観客からは演奏しているオーケストラ、指揮者の姿は見えないというのは有名な話。みんな海パンに上半身裸、みたいな格好で演奏している、指揮者だって似たようなもん、なんていうのも有名な話。なんでそんな格好かと言うとクーラーが無いからだよ、というのは有名な話。

ところで「有名な話である」ってっていう言葉を文末につけると、「この程度の事は知ってて当然だよね、ま、少なくとも僕ちんは前々から知ってたんだけどあっはははははははは」的な響きがしてイヤミっぽく感じられる、というのも有名な話である。

そんなことはさておき、バイロイトに行ったことのある人は居られるだろうか。もちろん、ただバイロイトに行くんではなく、祝祭劇場でワーグナーの楽劇を観てきたと言う人である。まことに少なかろうもん、と思うんである。ドイツちう国が日本から遠い、というのみならず、チケットがなかなか手に入らないと言う。しかし実はチケットはかなり余っていて、方策を尽くせばけっこう簡単に手に入るらしいというのは有名な話である。

私もバイロイトには行ってみたいなーと思っているのだけれども、まだまだ立派な大人になれていないので当然、行くことは出来ぬ。しょうがないから久しぶりにバイロイト祝祭劇場のホームページでも観てやりましょう。連休ですし、つって観たところが、かなり充実していたわけですな。いつの間にやらビデオクリップなるものが登場しているというわけ。劇場のあちこちを紹介しているというわけ。それを観れば、少しはワーグナーの聖地に近づけるかも知れないっつうわけ。そこで私はみなさんにも以下のフレーズをお勧めしたいと思ったわけ。

「そうだ、バイロイト(のサイト)、行こう。」

二括弧の恐怖

2008年9月 6日

「二括弧の恐怖」をご存じだろうか。これは「フェルマーの最終定理」「ポアンカレ予想」などと同様の、なんとも恐ろしいフレーズなのである。しかもそれらに劣らぬほど、言葉の語呂も良い。「二括弧の恐怖」。美しい。しかし、これは端的に言って、譜めくりにおける、あらゆる繰り返し記号の恐怖を示すものである。

譜めくりをする者の恐れるものは多々あるが、たとえばそれは、ひたすら同じ音形でのプレスティッシモ(迷子における強制離脱)、あまりに音符のないラルゴ(睡眠による自主的離脱)であるが、そこに負けず劣らず食い込んでくる危機が「二括弧の恐怖」なのである。これは何か。

ま、二括弧と言う言葉が何かという点については説明を省くとして、楽譜には繰り返し記号というものがあることはご存じであろう。作曲家の手抜き、ナンチテ言えばそういうことになろうが、しかしこの繰り返し記号がくせ者である。譜めくりの大敵だ。複雑な繰り返し記号を持つものは非常に危険だ。

しかも、音楽家の頭というのは譜めくり人にはあんましやさしく出来ていない。たとえば本番前に譜めくりの打ち合わせをしたとしても、あ、この曲は繰り返しはナシだからねーん、いやーんかんたーん。などの一言で済まされる場合が多い。で、あ、そうなん、で済まして繰り返しというものが無いつもりで本番中にめくっていると、突如見える繰り返し記号、これに我々は狼狽するのである。

おどれ(繰り返しは)ない言うたやないけダホ、どつきまわしたるぞ、と思うても後の祭り、現実に迫り来るのは繰り返し記号の恐怖。ああ。これに従うべきか従わざるべきか、思いは千々に乱れる。誠に。

本人が繰り返しはないと言ったのであるから、きゃつは「例え繰り返し記号があったとしても繰り返さないですよおほほほほほ」と言っているのだと勝手に拡大解釈してよいのか、それとも、単に忘れていただけなのか、皆目解らぬ。しかも演奏状態に突入しているピアニストに「ねえねえここですけれども」なんてって尋ねることは不可である。

ただでさえ高めの心拍数をさらに高くしてひたすら繰り返し記号を待つ。次に出る音で即断しようと惨めな試みを試みるのである。これを恐怖といわずして何というか!ババーン!いや、今までの私の経験では100%そのまま先に行ったんですけどね。

楽譜に気を付けろ!

2008年8月31日

譜めくりが緊張することについてみなさんにもっともっと知って欲しい。ピアニストの左脇に座り、影のように、そしてある時は忍者のように、誰にも知られることなく、しかしながら精密に仕事をこなしている、それが譜めくりスト、譜めくラー、譜めくりポンちゃん、譜めくりニャンニャン、ま、必殺!譜めくり人!である。

ときどき、いやあ、譜めくりする人って、すぐ側で聴けるからいいですよね、と仰る奇特な方も絶無ではないのだが、ほぼ絶無であろう。絶無であって欲しい。いやむしろここは積極的に絶無でなければならぬ。なぜならばそうでなければそんなことちいとも思わぬ私という存在がむなしゅうなってしまうから。はっきりいって譜めくり中の私はほとんど音楽なんて聴いてないから。いやあ、今日は良かったね良かったよ良かったんちゃう?と譜めくり後の私が舞台裏で言っていたとしたら、それは95%ぐらい、自分の譜めくりがよかったよね、良かったと思うよね、と自分で自分を慰めているだけである。

自分の知っている曲ならいざ知らず、聴いたことのない曲の楽譜をメリメリと渋滞なくめくるには大層な勇気、決断力が必要だ。そして、常に譜めくり人に疑問を抱いている人、つまり演奏中のピアニストとうまく付き合っていくだけの政治力なんかも必要だ。彼らは早いとか遅いとか、こちらの事情を加味せずに突っ込んでくるからね。めっちゃ難しいんよ、ほんまに。NOW!NOW!とかって、せっぱ詰まった小声で外人さん(のピアニスト)に言われてご覧なさい、もうマッツァオになって立ち上がって、あわてふためいて間違って10ページとか一気にめくっちゃうから。

だいたい、譜めくりというのは本番直前になってやっと頼まれるケースも多く、仮に、ええい、なんたる僥倖、前々より知らされていたとしても、それでも実際に楽譜を見るのはやはり本番直前であり、もしかして自分が知っていた曲でも、楽譜の出版社が異ってなんかいれば、めくる場所も変わってくる。めくってみたらそこに見慣れた風景がなかった、狼狽した、という哀しくも切実な現実がぽっかりとあなたを待ち受ける。

ページをめくる毎に、緊張が走る。どうぞ、次こそは難しいページでありませんように・・・。祈るような気持ちでただただ、黙々とめくり続ける。しかしそんな祈りもメシアには聞き届けられぬ事が多い。ああ、やんぬるかな、途中からプレスティッシモ(極めて早く)と書いてあるではないか!しかもそっからひたすら同じ音型でずっと進んでいる!と絶望の淵に追いやられることもしばしば。ありとあらゆる集中力を動員し、楽譜の解析に全力を尽くすよりほかない。合掌。

でも頼まれたらへいへい言ってやるんだけどね。先週もやってきたぜ!ジンバリストのへんな曲で仕事中に落っこちそうになった(迷子になりかけた)ことだけはピアニストにもヴァイオリニストにも内緒だ。

ピアノはええよなあ

2008年8月19日

ピアノのおさらい会はええよ、ええで、という話しを聞いたのは私の大学生であった頃のこと。何がええのんか、というとそれが、なかなか消極的理由によるものだったもんで、私は小心者であるからには、はははははははとそのときは笑ってなんやらごまかしたのであるけれども、それにしてもピアノのおさらい会はええかも知らんな、と最近思わなくもないでもないことはないのである。それはなぜかというとこれが、間違った音が出ないんですね。ピアノという楽器は。

間違った音が出ないというのは嘘おっしゃいこのサノバビッチ、と罵られることは承知しております。間違った音は出ます。あ、さっそく矛盾した事を申しますようですけれども、いえいえそんなことはありません。つまり、あまり重箱の隅話をし出すと切りもないんですけれども、ま、その、つまり、よく調律されたピアノなら、いわゆる西洋の伝統的な音階であるところの平均律的な音がピロピロって言うて鳴るわけですな。

ところが見なさい、弦楽器を。それと歌の場合なんかについても考えて貰いたい。ピアノのようにどこをあれすればこう、と、あんじょう間違いのう、正しい音が出るという保証は全くないわけですな。ドのシャープを歌いたい、っつうことになりますと、ここの筋肉をああいう風にキウと絞りますと、おととと、出ましたわ、と言うことになっておったらいかほど楽になりますやら。

それを思ったのは、先日ある動画を見たからでして、世界最高の音(もっとも高い音という意味です。ギネスに登録されている、とか何とか。)を出すとか出したとかいうテノール歌手、ステファン・ズッカー氏の歌唱を収めた動画がYoutubeで見られたからなのでした。思いっきりずっこけた私の反応は間違っていない。まあその、なんというか、えー、ざっくばらんに言って、音痴なんだよねー。めっちゃ。こういうのは困る。いかん、実にいかん。彼についてはまた次回。

ビールビールビール!ビールゥゥゥウ!!

2008年8月12日

今年の春に、エイジ・オブ・エンライトメント管の演奏を聴いて以来はまりにはまっている、J.S.バッハ「ヨハネ受難曲」を今夜も聴いている。部屋はクーラーも効いていて、気分は最高である。融けて流れよ、わが心よ、溢れくる涙の潮に・・・と聞いて涙せぬあなたは一体何なのか。人間辞めますかそれともヨハネ聴きますか。


武満徹は作曲の前には必ず「マタイ受難曲」を聴いていたそうだ。クールだ。しかし、私も負けてはいない。なぜなら私はサイトを更新するにあたっては必ずヨハネを聴き、心にインスピレーションを得るからである。というのはもちろん嘘だ。

私のような独り者の人間にとって、重要かもね、と思うのはビールの気楽に飲める店。と、言っても、へべれけになってくだを巻き、ようよう、亭主、てめえ、BGM選曲がよくないですよね、モンテヴェルディが聴きたいな、僕ちん。「ウリッセの帰還」なんていいかも。つって、言うてやるためではない。

私はヒマがあるとぼけーっと本を読む癖があるのだけれども、それに際してなんだか自分の部屋で、というのはあんまり易しくないないのである。残念ながら拙宅はくつろぐにはあまり構造的によろしくなく、よいチェアーもソファーもありませんし、じゃあ、っつて布団にころがって読みますとなんたる不思議か禍事か、しばらくもせぬうちバサッと頭に本がかかってくるんである。寝てんである。こないだ買った町田康の新作「宿屋めぐり」なんて、ハードカヴァーでなかなかに重たいものですから、こつん、と顔に当たるとこれがけっこう痛いんであるよね。涙が出ちゃう。

で、本を読むのに都合の良いところはないかな、と探すとこれがあまりない。コーシーを飲みながら、というのも悪くはないけれども、何だかな、と思う。そんなに格好をつけることもないかな、と恥ずかしくなってしまうのですね。で、ビールでも気兼ねなく何杯も飲めて、かつうるさくない、くつろぎの場所。どこかないだろうかと思っているが見つけられないでいる。いや、実は、東京オペラシティのB1階にあるHUBで昼間から飲むのはなかなか気持ちいかったですけど。

いつ尽きるとも知らない悩み

2008年7月27日

(写真は先日行ってきた道後温泉)小説を読んでいるとする。正宗白鳥だ。私はその小説の世界に入り込んでおり、全く外の音などは聞こえない。そこにいたずら者の誰かがこっそりやってきて、突如私の耳元で「ワッハ!」とか「グワッシ!」あるいは「ザンデルリンク萌え~!」なんて絶叫したとする。私はハンモックよりストトントンと転がり落ち顔面蒼白、死ぬかと思った、などと述懐するであろう。

なにが悩ましいかというと、歌手である。オペラである。それも、愛の二重唱か何かを歌っておられる方々を観ていると私はハラハラする。そもそも愛の二重唱であるからには、二人の距離は近い。限りなく近い。よくあるのが、ほおを寄せ合って歌っている状態である。これはとてもよくない。私の健康に、悪い。

愛する二人の歌唱というものはたいてい、昂揚している。興奮している。最初は小さくとも、だんだん声が大きくなる。大きくなる。大きくなる。・・・それにつれ、彼らの耳は大丈夫か、と言うことが気になってしょうがなくなる。せっかくの美しい歌唱も台無しだ。

実際私は、テノール歌手かなんかに目の前1メートルぐらいで歌われた経験はあるが(何年も前の話、東京藝大の歌手がずらりと揃っているという恐怖の飲み会での出来事であった。)、アレはたまらない。ビビビビビと頭に響く。テノールバカと言う言葉があるけれども、テノールに目の前で歌われてバカになる、というのも真実なような気がしてならぬ。1メートルでそれだったのだから、10cm、ある時は1cmにまで近づいてお互いを見つめ合い、大声を張り上げ・・・大丈夫なのか。脳震盪を起こして昏倒寸前ではあるまいか。私の悩みは果てない。

さんざん散財をした事

2008年7月24日

しばらくクラシック音楽エンジョイ生活とは縁の遠い生活をしていた。

先週土曜日の事であった。みずほ銀行に入った折に気付いたのだが、その数分前に、私の携帯電話がチリンチリンと鳴っていたようなのである。いや、本当を言うと、私は私の携帯電話の着信音楽を「さよならはダンスの後に」にしているので、倍賞千恵子さんが歌をお歌いになっていたはずなのだが、不幸にして自転車に乗っていたため気が付かなかった。

機械に残された手がかりを分析するに、それは愛媛からの着信のようであった。そこで早速、愛媛に電話をしたところが、その電話の要件というものが要するに、拙サイトの更新を催促するものであった。私はこれはしたり、と膝を叩いたのである。どうもだいぶ長い間、更新を怠っていたようである。せっかく梅雨も明けた事であるし、ここはひとつ、夏らしく、男らしく、つって思ったのである。うっかり意気込んだのである。どうも逆上したのである。それがいけなかったのではないかと思う。

私はCD屋に行った。新宿だけで3件回った。そうすると複数のCDおよび複数のDVDのため約3万円が手元から無くなったようであった。次いでブックファーストに行った。新宿だけで2件のブックファーストに行った。およそ8千円の現金が本と交換された。そこで私は下北沢に行った。T-シャツを5枚買った。そうするとさらに1万5千円が手元から無くなったみたいであった。そこで私は今度は銀座に行った。そこではメガネを購入した。そうすると4万4千円が財布より出でて帰らぬ人となった。最後に新宿に戻り、高島屋で、つい先日子供の産まれた兄夫婦にギフトを買った。

私は何をしているのであろうか。なんという散財であろう。しかし済んだことはしょうがないし、してやったり感、爽快感、充足の気持ちがないわけでもない。私は今、買ってきたイルマ・イッサカーゼとかいうグルジアの若手女性ピアニストが弾いたJ.S.バッハのゴルドベルク変奏曲(OEHMS)を聴きながら、あ、これ、まあまあええんちゃう?な、そう思わへん?と思っている。

お買い物行動学

2008年4月22日

(写真はソウルのスーパーで撮った写真。棚一面のキムチに圧倒されました)一般的に言って、女性と男性とでは買い物の仕方が違うと言うけれども、私自身を振り返って考えてみれば、どのような買い物をするか。

だいたい欲しい何かがないと買い物には行かない。そして狙いを定め、欲しいもの一直線。で、それが済んだらあとは気が向いた方向をちらちら、とまあそんな感じであろうか。たとえばスカジャンが欲しいと言うことにでもなれば、スカジャン売り場にまず直行。満足すれば買ってしまってあとはその界隈をテキトーに流す、これである。で、気が済めば(たいていすぐ気が済む)あっという間に部屋に帰り、ひっくり返って本を読んだり映画を観たりしながらビールを飲んでいる。

ま、スカジャンというのは例えで言ったまでで、そこに入るのが、家電製品であろうがウィスキーであろうがフライトチケットであろうがてるてる坊主であろうがだいたい事情は変わらぬ。しかし、CD店ではどうであるか。昨日私は珍しく、2名でタワーレコード新宿店に赴いたのだが、共に入店したO氏に「時にあなたはどんな順番でショップ内をみて回りやがりますか」てな事を聞かれ、ハテと考え込んでしまったのである。これを買いたい、と思ってCD店に行くことは少ない。だが私はどんな動きをしているのだろうか。

そうだなあ、と思い巡らしてみれば、よく行くタワーレコード新宿店においてはだいたい同じようなルートをいつも通っていることに気が付いた。まずはエレベーター脇の本を眺め(9階なのでいつもエレベーターを利用するから)、DVDコーナーを見に行き、ひとしきり眺めた後、レジ脇の安売りカート、その向かいのちょっとした特別展示品を冷やかしてのち、作曲家アルファベット別の、いわゆるメインの棚での行動開始。だいたいSで始まる名前の作曲家コーナーに行き(なぜならSはショスタコービチ、シューマン、シューベルト、シュトラウスなど、楽しい楽しい作曲家が多い)、M(モーツァルト)、B(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、バッハ)、X、A(今日もXとAは少ないねハハ、と笑いに行くのである。ってこれはウソ。)、新譜コーナー、廉価版コーナー、レジ、終わり。

何と言うことか!本当にまるで判を押したように同じである!このへんの私の心理分析をユング派にでも頼まなければならないのではなるまいかと実はけっこう密かに悩んでいる。

新宿うかつスポット

2008年4月 5日


私は全然知らなかったのだが、ある日突然知った。新宿にディスクユニオンがあるという現実を。ディスクユニオンと言ったら中古ディスクがドカンと売っている所である。私の記憶の中での新宿ディスクユニオンは、上から下までBEAMSのあのビルヂングの向かい、という事になっており、しかもそこにかつてあったクラシックの売り場はとうの昔に無くなっていて、ほぼクラシック音楽CDしか買わない私にとって新宿にはディスクユニオンはないも同然、ディスクユニオンに行きたきゃお茶の水、という理解だったのだから、何と間違っていたことか!教訓:事実関係は常に正されなければならぬ。

蛇足ながら私がCDなどを購入するために立ち寄る場所はほぼ決まっていて、新宿か渋谷のタワーレコードがほとんど、そして3年に1度ほど行く秋葉原の石丸電気と、5年に1度ほど行く京都三条の十字屋であったが、ここに新たに新宿ディスクユニオンを加えることが出来たのは私の喜びである。毎週行ったっていいね、安いもんね、新品バンバン買えるほどお金ないもんね。

どこにあるのかというと、これがかなりの中心地。紀伊国屋書店の隣の、シティバンクの入っている建物の8階である。これはしたり、迂闊(うかつ)であった。しかしまた目立つようで目立たないところにあるもんだね、ハハ、建物の前では声を嗄(か)らして献血献血、っしゃーっす!ってって叫んでますけど、ごめんね通過してその上に行きますねん、我は。っつってチンと鳴り響くエレベーターを降りてみれば、あったのである、クラシックを専門としたディスクユニオンの店舗が。

くらくらした。新宿の一等地に何というこの人いきれ。そこにあったのは濃密な空間だったのである。一度にらんだ獲物は逃さぬ、そのような視線の充満する独特の無言の空間であった。若者の集う新宿らしからぬ光景。なんという事であろうか。そしてそこにBGMとして流れていたのはホロヴィッツのピアノ演奏するムソルグスキー「展覧会の絵」であった。この店は・・・・ムムム・・・出来る!

この日のお買いあげ

E.シュワルツコップ :R.シュトラウス歌曲集(EMI)
G.スゼー :フォーレ歌曲集(EMI)


飛行機はお好き?

2008年4月 1日

飛行機とは怖いものであることだよと常々私は考えている。あんな鋼鉄の塊がビヤーと飛んでいるのだからまったく始末に負えない。落ちたら、どうする。飛行機事故の確率は車の事故と比べてずっと少ないとはよく言うが、だから何なのだ。確率が低いからと言って私の乗った飛行機が落ちないという確証はない。それに一度事故を起こしたら有無を言わさず死んでしまう可能性が滅茶苦茶高いではないか。

大ヴァイオリニストジャック・ティボーは飛行機事故で死んだのである、サン=テグジュペリは飛び立った後、帰らぬ人となったのである。向田邦子の悲劇、坂本九の・・・・なんて、考え出すときりがない。それにくらべて、新幹線。いいよね。いいなあ。飛行機よりエコだし、待ち時間も少ないし、何よりも地面についてるっていうのが、いいじゃありませんか。地に足が着いているっていうか。

第一級の音楽家たちはそれはもうモーレツに世界中を飛び回っているものだが、みんなその辺の問題は大丈夫なのだろうか。誰それは飛行機が嫌いだった、なんていう話を聞くとなんだか嬉しくなってしまうのは私だけだろうか。そうだ、あの人も嫌いだったんだ、と思ってニコニコしてしまう。リヒテルはシベリア鉄道を使って日本に来ていたそうである。

で、突然だが、夏でもないのに恐怖映像を観てしまった。もうよい子は眠る深夜0時を回る時刻にyoutubeでhongkong airport と検索した私が間違っていた。怖いものみたさで見てしまったのが間違いであった。昨晩は恐怖のあまり寝付かれなかった。自他共に認めるゴジラフリークで飛行機大好きのアメリカ人ヴァイオリニストL氏から聞いた情報を元に検索をしてしまったのだ。That's coolと言う彼の教えてくれたそれというのは、世界一難しいと言われた香港の昔の空港、啟德空港の映像なのである。見よ!着陸直前の恐怖のビッグターン!超強引なランディング!ババーン!!

私は幸いなことにこの空港を利用したことは無いのだけれども、もしも機上の人になっていたら、ボゲ!とかニピ!とか不明な音を口より発し、絶命していたのに違いないのである。羽田空港の着陸前のターンにだって気絶寸前なのだ。