バルトークを聴きましたでごわすねん
2008年8月 3日
なんかえいぞうがすごいらしいねん、という噂であった。それは、私の行ったパリ国立オペラの後半戦、バルトークの話である。バルトークの、伝説の青い髭メソ・・・ではなくて、バルトークの歌劇「青髭公の城」の話である。このたびのバルトークは、なんだか映像がすごいらしいという話をどっかで聞いていたので、どんなもんでございまっしゃろうか、と心をわくわくさせていたのである。
そうだ、つらつらと考えてみるに、この公演のチケット料金(S席 58,000円)というのは、彼らの今回の来日ツアーの他の公演、たとえば、始まってから終演までに5時間以上かかる極めて大がかりな、かつ指揮者もビシュコフであり、つまり遙かに有名人だったワーグナーの楽劇「トリスタソ」(本当の名前は Tristan und Isolde つまり「トリスタンとイゾルデ」)と同じ料金であるからには、やはりこれは映像やなんかにお金がかかっているのかも?キシシシ!
なんせこっちはヤナーチェクとバルトーク、演奏時間だけなら合わせても2時間かかりませんしな、出演者だって、ヤナーチェクは2人+合唱(実際は合唱は3名だけで、ダンサーらしき人が何人かいましたけど)、バルトークなんて青髭と新妻の2人と、まあ強いて必要というなら昔の奥さん3人が居れば済むもんね(実際は演出上奥さんの姿は無い変わりに他の人たちが少しいましたけど)。少ないもんね。舞台装置だって大がかりである必要まったくないもんね。その分映像がすごいんでないかい、キシシシシ。
・・・したら、なんてことはない、ごく普通の映像であった。舞台もごくごく普通。これは値段設定にマチガイがあるのではないか、と私は首をかしげざるを得なかった。これが「トリイゾ」と同じ料金なのはいけません、いけませんね。いただけませんね。ただし、開始早々のホワイトさん(バス・バリトン歌手。黒人さん。)の影が映るシーンは思わずのけぞるバッチgoo!な素晴らしさでしたよ!


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金曜日はオペラを観てきた。上野の東京文化会館。モーツァルトの「フィガロの結婚」。オーケストラは何と、私が
韓国に行ってきたのである。ソウルである。事情はともかく、これはまごうことのない事実として受け止めて下さって良い。東京に比して北に位置し、そこでは誰しもが単純に想像するとおりの事実が待ち受けていた。寒かったス。
そして私が印象を受けたのは一体に韓国の聴衆は日本と比べ、情熱的であったという点である。たった一回のコンサートで結論付けるのはどうかとは思うけれども。客席数2,500を越えるこのホールの、この日はわずか半分にも満たない聴衆であったが、演奏後は日本ではまずないほどの盛り上がりを見せ(もちろんここには演奏が素晴らしかったという前提が付くのだが)、立ち上がってブラボーと叫ぶのみならず、ピーピー!オーイエー!と盛んな歓声があがり、果ては太鼓を持ち出しどんつくどんつくの大騒ぎとなった(これはウソ)。
ブラボー、という言葉はいいじゃありませんか。私は大好きです。いい演奏/歌唱が終わった後に、ブラボーという声の聞こえる時というのは全く気持ちのいい物です。しかしながら、です。ブラボーにもよいブラボーとよろしくないブラボーがあります。
忙しい東京に住む我々には、1つのコンサートで4人の異なるピアニストの演奏を聴くというチャンスはあまりない。聴衆の耐久力、集中力という問題もあるが、もしかすると、そもそも1晩でのコンサートに出演するのは1人もしくは1グループで、だいたい2時間ね、2時間、といった業界常識があるのかもしれない。
昨日の話の続きを脇に置く。セルゲイ・シェプキンという方のピアノ・リサイタルに行ってきたのでその模様を光速でお伝えしたい。東京錦糸町、すみだトリフォニーホール大。バッハのゴルドベルク変奏曲をメインに据えたものである。日本では彼の事はほとんど知られていないものの、ゴルドベルク(の演奏)がすごいなどと言うふれ込みであった。私としては以下、2種類の反応が出来るかと思った。
トーキョーワンダーサイトに行ってきた。と書くと、この名前が普遍的な響きをしているからかよく見知った所であるような気にもなってしまうのだが、全然知らない場所である(すいません)。お茶の水とか本郷とかその辺りにあるごくごく小さなスペースであった。
(左写真はサイン会の間にこっそり撮ってみた写真)ピアニスト、レオン・フライシャーは生きながらの伝説である。ベルギーでおなじみのエリザベート王妃国際コンクールで優勝しながらも、突如襲ったジストニアという病気のため右手が使えなくなり左手だけのピアニスト、教育者、指揮者として活動を続けた彼が、両手復帰をしたのは既に80歳目前であった。そしてついに東京でリサイタルを開いた!(1月15日月曜日、銀座王子ホール)これを喜ばずにはいられようか!ババーン!!
Shumann :子供のアルバムより
音楽家というのはコンサート会場で音は出すが声はあまり出さない(声楽家と特殊な現代音楽奏者は除く)。しかしそんな彼らの声を聞くチャンスは幾つかあるわけで、たとえば・・・
勘というもの、使わなければいくらでもなまる。私がこのたび直面した勘のなまりは<座席勘>であった。座席をめぐる攻防に私はつい、夏の間に養ったアンチ・勘のおかげで負けてしまったのだ。ただ、負けたと言って誰かに負けたのではなくそれは、自分の中で -しまったでやんす- と思っただけなのは改めて述べるまでもない。
クラシック音楽関係の人たちと異なり、演劇の人たちは「練習する」とか「さらう」とか「合わせる」とかいう言葉ではなく「稽古する」と言うのである。言い慣れないので思わずうつむきがち、小声になってしまうこの言葉なのだが、連日の稽古を少し失礼して私は一昨日、このサイトでもおなじみ岡本麻子氏のピアノ・リサイタルに行ってきたのであった。東京文化会館小ホール。そのコンサートであるが、メシアンの「みどりごイエズスに注ぐ20の眼差し」第6曲「御言葉によってすべては成されたり」が猛烈であった。私はそれまで稽古の疲れ、外の温度湿度の高さから来る疲労、そして後述する理由により意識が朦朧(もうろう)としがちだったのだが、この恐ろしいフーガをダダダ!と勢いよく弾く彼女の演奏にバチーンと目を開くのみならず、鳥肌すらもよおしたのであった。岡本氏のメシアン、改めてオススメ。
昨日は、ブリュッセルと言えば、の世界遺産広場「グラン・プラス」で、モネ劇場による年に1回の無料オペラコンサート(1時間強)があった。昨年度横向きだったステージ、今年は縦である。昨年はワーグナーの抜粋をやっていたが、今年はレオンカヴァルロの「道化師」全曲であった。曲を知ったときは、ええーせっかくの野外無料コンサートなのになぜそんなに暗い曲なのか確かに休憩が無くて75分ぐらいですむ短いオペラだから全曲通してはやれるけれど、と思った。しかし、企画者達は名アリアのオンパレードとかいったような野外コンサートには飽き飽きなのかもしれないし、サッカーで浮き足立つ人たちをしっかりと現実に引き戻す役目を負っていたのかも知れないし、「道化師」が好きで好きでしょうがなくて、とにかくここでやっておきたかったのかも知れない。
その1:「何やっとんじゃワレー!どついたろかー!」「何しに出てきよったんやおんどれー!帰れ帰れー!」空振り三振、あるいはゲッツーなどに終わってしまった場合、上のような罵声がスタンドから飛びやすい。おっと、打てなかった場合をうっかり先に書いてしまったが、もし逆転タイムリーを打った場合は「神様仏様・・・新庄様!」となるわけである。ポイントは、いずれの場合にせよ通常より感情の浮き沈みが激しいと言う点である。気をつけなければならない。例え打てなかったとしても状況をよく見るなら「ま、いきなり出てきて試合になじんでもないのにしょうがないわな。そら打てへんわ。そもそも今日の三浦はキレキレやった(注:素晴らしかった)。ま、次がある、次が」と言う評価も出来る。逆に代打逆転サヨナラ満塁ホームランを打ったとしても「ここで浮き足だったらあかんでよ、勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ、やぞ」とも言える。