帝釈天

イヤフォン生活

2008年12月 4日

ipodを買って1ヶ月ほど経つ。なくてもいいよね、あんなものと思っていた私だが「ややや、かなり楽しい」という現実に、みなさまから遅れること数世紀、ようよう気がついた。私の棚に収められた幾ばくかのCDコレクションから、お気に入りのディスクたちをipodに突っ込んで楽しんでいる。よろしいなあ。

自宅ではヘッドホンをつなげうろうろ(オーディオもあるが、大音量では聴けないからやっぱりヘッドフォンなのですよ)。外出時にはイヤフォンをつなげて楽しんでおる、つうわけ。新宿という希代の大都会を歩きながら「英雄の生涯」をドカドカ鳴らしたり、「我が生涯より」を聴いてため息をつく、「ヴェーゼンドンク歌曲集」を聴いて涙するなんていうのは私にとって何とも新鮮な体験である。ニヤニヤしてしまう。ギャルらからキモい、と思われるかもしれぬがそこは、キモいと言うおまえがキモい、とぜひ、言い逃れたい。

それで気がついたのだけれども、街ゆく人たちの、なんと多くの人がイヤフォンをつなげて音楽を聴いていることか!しかも注意深く観察してみると、そのうちの多くの人が白いイヤフォンをつなげているようである。昔はイヤフォンのコードと言えば黒いもの、なんていうイメージがあったように思うのだけれども。おしゃれは足下から、おしゃれはイヤフォンから。

しかし、徒歩イヤフォンは結構あぶない。そもそも片耳の不自由になって以来、私は音がどこから聞こえてくるか、音の方向感覚がものすごく鈍くなったので、歩行の際には音に気をつけ、後ろを振り返りながら歩くようになっているのだが、イヤフォンをして道を歩くのはもっと危険である。なにかにつけ後ろを振り返り振り返り歩くことになる。みなさんも事故には気をつけていただきたい。

CD ジュリーニ / ブルックナー第9番 / ウィーン・フィル

2008年12月 1日

★★★★★

でも今はジュリーニの指揮するウィーンフィルのブルックナーの9番(1988年録音、DG)を聞きながら涙してるんですけどね。


コンサートに行く人、行かない人。クラシック音楽愛好家はいずれかに分類される。ちなみに人類は2種類に分けられるのだが、それというのは、人類を2種類に分類したがる人とそうでない人、という風になるわけ。ハハハ、誰がうまいことを言えと。

私はどちらかというと積極的に行きたい方である。私の友人にも音楽会にはほとんど行かないという人がいて、それというのも、現在の音楽家はつまんないから、というのである。私は少し考えが違って、たとえばトスカニーニ、フルトヴェングラー、チェリビダッケ、カラヤン、ホロヴィッツ、ハイフェッツ、シュヴァルツコップ、なんつう、皆さん録音を通じてご存じのかつて地上に存在した超人たち。録音を通じすばらしいと思うし、少しずつ集めてもいるが、やっぱり音楽はホールで聴くもの。CDとかいうのはあくまでも副次的なものである。だって彼らは目の前にいないもん。あるのは再生装置とヘッドフォンだけ。むなしい。

音楽が、好きだー!と渋谷区の中心で叫ぶことの出来る人間の一人として、ホールに足を運び、演奏家と時間を共有する数時間が、いいよね、たまんないね。つまり、釣りバカ日誌を観てニヤニヤするのもいいが、実際に船に揺られてつりを楽しむのとは全然違うんである。あるいは釣りに行っていて、釣った魚を評して、ああ、昔の魚は良かった、と言うのもなんだかな、と思う。なんというか、昔の思い出を語るには私はまだまだ若いんよねーあっははははははは、と言うことである。私も70,80歳になったらすっかり意見が変わってるかもしらんけど。

でも今はジュリーニの指揮するウィーンフィルのブルックナーの9番(1988年録音、DG)を聞きながら涙してるんですけどね。これ、今日になってやっと聴きましたけど、噂にたがわずmu-chakuchaすごいですね。

男は・・・・つらい

2008年11月29日

ブルックナーの交響曲は長い。ワーグナーのニーベルングの指輪はもっと長い。しかし、それらを遙かに超越する作品をご存じか。うふふ、わからぬであろう。それも無理はない。それは!・・・・「男はつらいよ」である!ババーン!!

劇場公開されたのは全48作プラスおまけ1作の49作品。仮に一作品を90分で計算したとしても4410分。74時間近くなるわけである。ワーグナーのリングがせいぜい14時間であることを思えば、全く相手にならない長さであることがすぐに理解できよう。1969年に第一作が公開され、渥美清の死により最終作となった48作目が劇場にかかったのは1995年。ギネスにも認定された、とことん長い作品である。

しかも、ワーグナーとは異なり、はははははははと笑って鑑賞が可能な点も見逃せない。時にワーグナーの長さは拷問となりうるのだが、寅次郎シリーズはそのようなことは全くない。はは、楽しいね。美しいご婦人も毎回出てますし。ちなみにワーグナーの指輪には非常に多くのライトモチーフ(このメロディーが出てきたらそれは何を意味する、とかいうお約束ごと)があるが、寅さんシリーズにも、寅さんはいつまでたっても結婚できない、とか、タコ社長は資金繰りに絶えず苦労する、とか、御前様は笠智衆、なんていう決まり事が存在する。

そして私は本日、ついに、寅次郎ハイビスカスの花特別編(劇場公開49作目)を観たことで、約1年間かかって、全作品を見終えた事をここに報告できることは大いなる喜びである。この49作目はほとんど25作目と同じなのでアレなのだが、事実上の最終作である48作目を観たときは、とりわけその後半は涙で目がぼうとかすみ、まともに観ることが出来なかったのだ。あまりにも壮絶な記録であった。

いやー全部見ましてね、というと、たいてい、どれが一番面白かったのか、と聞かれるのだが、どれがよかった、などという点は些末な問題のように思われる。私はそのような質問を受けたときには、「倍賞千恵子の若い頃の可愛さが猛烈に圧倒的でした」あるいは「松坂慶子は卒倒級の美人でした」「若尾文子の和服姿がたまりませんでした」「大地喜和子がまだ若くして亡くなったのは非常に残念でした」などと答える。そうするとははあ、と、わかったようなわからぬような返事が、あるいは若干の冷笑が返ってくる。一緒になって盛り上がれないのが哀しい。残念だ。日本人は日本人の心を失ってしまったのではないか?(テキトー)

私という人間は、基本的にはヨーロッパ音楽にうつつを抜かしている人間だが、日本人でよかったと心の底より体験できる作品の一つとして、この男はつらいシリーズを皆さんにも是非体験してもらいたいと感じる。そうしてついでに、柴又の帝釈天参道なんかに行って、さらなる追体験をするのも悪くはなかろうと思うのである。先週の日曜は楽しかったぞなもし。

書評:ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯 (春秋社)

2008年11月23日

★★★★★

爆発のおもしろさ。ビルギット・ニルソン(1918-2005)は私はもちろん、ライブで聞いたことはないのだが、ワーグナーを得意とするソプラノ歌手として名前を全世界に轟かせたスウェーデンのおばちゃんである。どこからどう見てもおばちゃんと形容するのがふさわしい方である。なぜおばちゃんなのか、ま、それ以上の説明は許して欲しい。事情あって割愛させて欲しい。太っている、なんてこと、大きな声では言えない。奇妙なジョークのセンスを持った人、とかいう誰かのコメント(レヴァインだったかも?)を覚えていた事もあって、この本は面白いかもしれないと興味津々で読み始めたところが大当たりであった。


このおばちゃんは怒髪天を衝くほどの声量を生かしたモーレツ歌唱でも知られているのだが、この自伝もまことにモーレツの極み。もうなんつーか、はは、おもろ、なんていうもんではない。激烈に、際限なく、面白い。ギハー!つって布団に倒れ込んで、もう一回読み直してギハー!っつってまた倒れるぐらいおもろい。下がって行って助走をつけ、ぐっと飛び上がり、8段の高さの跳び箱で台上前転を連続で5,6回したところでまったく間に合わなさそうな興奮があなたにも持続することは間違いない。この興奮、誰かおさめて!助けて!

読みやすさのバチグンさはもとより、本当かウソか分からぬが奇妙に納得させられるエピソードの数々。むしろウソつけ!と叫びたくなるへんてこジョークが山盛り。そしてこれは翻訳者の市原和子氏も後書きで触れておられるが、他人の中傷、罵倒、呪詛、そのようなものがなく、読んでいて爽快。一例として、お互い口も聞かなくなったカラヤンに対してもその天下一品の腕前はしっかりと認めている記述が秀逸。また自分の失敗をいくつかを正直に記しているその感覚も心地よい。ニルソンさんのような偉大な歌手が舞台上でまさか・・・(略)。

全社員(って誰?)必読の書物であることの断言を憚らなくてよいと私は信ずる。この本の値段の高さ(¥3,360)にまず驚き、そして内容のおもしろさに再度驚け!

CD: コジェナー/ラトル/OAE モーツァルト

2008年11月15日

★★☆☆☆

コジェナーさんはラトルさんとこの今月のベルリン・フィル日本公演においでになる。マーラーかな、をお歌いになる。さる識者になんでコジェナー?と質問し、ラトルのパートナー、との返事になるほどと首肯した私はピュアなハートに欠けているのではないか?


エンライトメント管はイギリスのピリオド・オーケストラであり、世界中に幅広く張り巡らされた(ウソ)私の情報網が教えてくれたところによると、ベルリンに行ったラトルが、ここ数年唯一指揮しているイギリスのオーケストラ、なんつうことになるんだそうである(そろそろバーミンガム市響を指揮する事になっているらしい)。

それにしても、高村光太郎は悲劇であった。自分の方が才能が豊かだった故、同じく芸術家であった奥方は精神を病んでしまった。唐突で恐縮だ。また、これが事実であったかどうかはわからないのだけれども、それはともかくとして、夫婦で何かをやっている人たちの話を聞くたび私はこの話を思い出し、ちょっぴり暗い気分になる。家庭に仕事を持ち込まない、という言葉はいろいろ意味があろうが、なかなか説得力があるなあ、なんつって、家庭を持っていない私だが、思うんである。

互いに嫉妬すると思うんである。才能のレベルが同じ夫婦なんてのはいないだろうし、レベルが客観的に見て同じだったとしても、それで円満に行くわけはない。似たもの夫婦、なんつってお互いが納得なんて、絶対にしないであろう。夫婦でアートなんぞするものではないと思うのであるが、これは単に私がそう思っているだけなんであろうか。

そんなこんなで、ハラハラしながら聞いてしまった。録音中、喧嘩しなかったか。この録音のせいで二人に別れ話はでなかったか。呼吸がずれるたびに覚えず、あ、なんて声を上げてしまったりした。そんな意味合いもあり、個人的にこのCDはあまりオススメできない。バックグラウンドを無視して音楽だけを聴け、と思わなくもないが、それは私には出来なかったみたい。こういうのは知らぬが仏、なんである。きっと。たぶん。ひょっとしたら。ちょっと音程も甘いしい、みたいな。

Book 1st 新宿店 讃

2008年11月12日

そうだ、あれ、買おう。と思い立ったが吉日、出かけていってお買い物をするのだけれども、部屋に戻ってくれば、そもそも買おうとしていたあれを買わず、別の何かが手元にある。うっかりものの私はそのような体験がしょっちゅうである。ネットでのお買い物の場合はそのような事は起こらないのだけれども、現地でうろうろと歩き回っていると目移りするするよね、はは。

あれは今年の夏前だったか、西新宿に巨大なBook 1stが11月に出来ると知って以来、私はそわそわしていた。首を長くして待っていた。なんせ私という人間は、近所に本屋とCD屋と映画レンタル屋とスーパーマーケットがあればそれでほぼ充足してしまう人間なのである。酒屋もあるとうれしいが、ま、それは、まま、ま。

そんなわけで6日にオープンしたBook 1stに行く日が私にもやってきた。今日の21時の出来事であった。新しく建ったモード学園コクーンタワーの地下である。自宅より楽々徒歩圏内、自転車で3分のところに巨大本屋があるなんて、目眩がするではないか。ああ、想像しただけでちびりそうである。いや、新宿には既に紀伊国屋とかジュンク堂なんかがあるわけだが、なにせそれらは何れも東口であるからには、私のように西に住む人間からしてみれば、陸橋を越えたり、大ガードをくぐったりなんかしないといけないわけで、いささか面倒だな、と思っていたのである。西口にも、おっきな、本屋が、欲っしいいいいい、と念じていたら、あら不思議、出来た。

巨大であった。地下1,2階に広がる激烈な本棚群は建物の外観からはとても想像出来ぬ広さ。となりのスバルビルにも食い込んでるんではないかと思われる果てのなかなか見えぬ奥行き。私は感動した。男気溢れる膨大な広さを最大の賛辞を以て迎えたい。既に新宿駅真上に2店舗も抱えているのに西口にも出店してやろうという無謀な心構えも強く買いたい。彼らがまかり間違っても撤退しちゃったりなんかしないよう、がんばってここでビンビン買っていきたい、と私は決然としている。

私は今晩、最近ネットでも何かと話題の水村美苗氏の新刊「日本語が亡びるとき」を買ってやりましょうね、オモチロそうですからね、と意気込んで行ったのである。結論:合計9,000円なんちゃらと書かれたレシートにその本の名前は見えず、ビルギット・ニルソンの自伝、ヴォネガットの小説やNHKラジオ実践ビジネス英会話なんかがいくらいくら、つって書かれて居った。

DVD: ベルリン・フィル ヴァルトビューネ・コンサート2000

2008年11月 5日

★★★★★

ベルリン・フィルが毎年夏に、ベルリン郊外のヴァルトビューネというところでコンサートを開いていることはご存じか。2万人以上収容の野外コンサートホールでPAを使用して大々的にやるんである。言ってみたら隅田川の花火大会のようなものだ。例えが適切かどうかは措いておいて、ま、ようするにお祭りでありますな。

2000年のそのコンサートはリズム&ダンスというテーマであった。指揮はケント・ナガノ。名前は日本っぽいがアメリカ人である(日系)。顔もバリバリ日本っぽいがアメリカ人である。いつ見ても髪型だけは若干恥ずかしい。で、このコンサートである。前々から気になっていたもの、新宿タワーレコード9Fで安売りをしていたのでやっと買った。

林英哲という和太鼓奏者を皆様はご存じか。私はこの方の存在は知っていたが、はっきり言ってあまり知らなかった。彼はいわゆる和太鼓の第一人者として知られる方のようで、カテゴリーとしては「かなりすごい」に属すようである。和太鼓が何でベルリン・フィルやねんと思われるだろうが、むりやり共演してんである。松下功という作曲家の作品和太鼓とオーケストラのための「飛天遊」で共演してんである。ま、和太鼓協奏曲ということですか。

見た、聞いた、泣いた。林氏のあまりにも圧倒的な存在感。驚異的集中力。実演に接していれば体に響く振動があなたの存在を心底から揺さぶったに違いないのだが、私もヘッドフォンより耳とその界隈に伝えられる振動でモーレツに感激した。気がつけば私は、グワーと立ち上がってファンタースティコ、ファンタースティコ!!と意味なくイタリア語で叫んだ(ウソ)。

顔を真っ赤にして喜ぶコンサートマスター(当時)のクスマウル先生、わざわざ休符時に後ろ(に立って演奏している林氏)を振り返って演奏を見つめるホルンのマックウィリアム氏らを始めとするベルリン・フィルのみなさんも終始笑顔、ケント・ナガノ氏も滋味溢れる笑顔。そして最後の一打と共に緊張を解き放たれた客席のスタンディング・オベーション。なんという至福の瞬間。

それ以外の曲の演奏なんかどうでもよい、「飛天遊」という曲のオーケストラパートもま、はっきり言ってしまうとほぼどうでもよい。この伯林という異国の地でひとりひたすら太鼓をたたきまくる林氏の、あまりにも明るく輝いているその姿が拝聴できる20分強(アンコールを含む)だけでこのDVDの価値は計り知れぬものとなっている。私の友人が客席で口を開けて映っているのも、見逃せない・・・!!

DVD: バレンボイム スカラ座リサイタル2007

2008年11月 2日

★★☆☆☆

ベルリン・フィルのメンバーとか、個人的に私の接した人たち限りで話を進めるけれども、ヨーロッパの音楽家の間でバーレンボイム氏(1942-、アルゼンチン)の評価はむーちゃくちゃ高いように思われる。ピアノと指揮とを両立させることに成功している唯一の音楽家、なんつう言葉が聞かれるのはバレンボイムだけであった。

そのバレンボイムは先シーズンよりミラノ・スカラ座の・・・なんだっけ。何かになっている。あ、今調べたら主席客演指揮者(principal guest conductor)であった。そうそう、私が言いたかったのはこの事である。テキトー。ピアノもガンガン弾けて指揮も出来てオペラもバシバシ振れちゃう驚異の人間バレンボイム。フルトヴェングラーだって少年バーレンボイムにびっくりしたもんね。スカラ座の主席客演指揮者に就く前数ヶ月(2007年5月28日)のリサイタル記録、それがこのDVDであった。世界のスカラ座でのリサイタル。

持ち上げておいてナニだけれども演奏自体は残念ながら総じて低調。ブラヴォーに混じってブーイングも激しく飛ぶがあれでは致し方あるまい。最後の曲リゴレットパラフレーズは若干輝きを見せていたけれども。まあそれはともかくとして、私が気になったのはそんなことではない。舞台である。言うまでもないがスカラ座はオペラハウス。そこでピアノ一台のリサイタルをするということは特別のことなんである。オペラに比して出演者も少ないですし、傾斜のついたオペラのステージでは演奏もしにくいよね。つうわけで通常のステージではなく、オーケストラピットにふたが被されそこがステージとなっている。オペラハウスではよくやる方法だと思うのだけれども、こういう舞台を見るたび私は不安な気持ちになる。

・・・舞台の下はどういう空間になっているのか。たぶん詰め物などのない板一枚とかであろうから、それはつまり、強度の問題が取り沙汰されてしかるべきであろうと思うのであるがいかがなものか。板一枚で重たい重たいピアノを支えるんである。想像をするだけで冷や汗が背中を伝うのではないか?演奏中にボスッと床が抜けたりしたらどうするつもりなのだろうか。そんな事故は今までなかったのだろうか(いや、それぐらいは考えてつっかえ棒かなんかがあるんでしょうけど)。まさにこれは「黒ひげ危機一髪」の世界ではないか!ギャー!

そう思って見てみるともう、膝は打ち震え、顔面は蒼白となるのであったが、誰かこの恐怖を共有してくださる方はいないものだろうか。

ネトレプコ/清教徒

2008年10月20日

何でもかんでも高いな高いな/と思う私の頭の中は/デフレ・スパイラル


俵万智を読み過ぎて一句出来たところで本日のお題に進みたいと思うんであるけれども、それにしても最近、いろいろ高いなあ、と皆様も思われないだろうか。そもそもけち、りんしょく、倹約家に生まれついている私が気をつけていることと言ってそれは、基本的に外食はしない。ちょびっとだけ遠いけど買物は出来るだけ激安スーパー「OK」初台店に行く。移動は都内であれば出来るだけ自転車でする(都内なんつっても、檜原村とか秋川渓谷なんかに行け!なんつって言われたら立往生の末に卒倒するのでそこは勘弁してほしいけどな、と思っていることだけはあらかじめ理解してほしい)。そんな私は、クラシック音楽関係の色々の、あまりの値段の高い現状を憂えているものである。

先日タワーレコードのDVDコーナーをつらつらと眺めていて目が飛び出たのである。ネトレプコが出演するオペラのDVDが、い、い、いっ、10,000円するんである。むちゃくちゃ暴力的な値段設定である。私は我と我が目を疑うた。五枚組六枚組?いえいえ、二枚である。目を剥いた。目が回った。怒りがわらわらとこみ上げた。なんでこんなに高いのか。

子供を産んだばかりでお休み中とはいえども、彼女の人気はなお沸騰しているのか、彼女が彼女のエージェントがめっさ強気なのか。もちろん第一線の歌手であるからには出演料とか権利関係その他にかかるお値段なんつうのは高いであろうことは想像出来るけれども、しかしながらDVDのプライスをこれほどまでに上げて何ぞ良いことがあるのか!!ババーン!

こうである。売れない→数が売れないので値段を上げることで採算をとろうとする→ますます売れない→値段があがる→さらに売れない→ますます・・・・(略)。最後に待ち受けるのは、倒産、閉業、差し押さえ、社長以下一族郎党みな夜逃げ、とかそういうたぐいの哀しきデッド・エンド。なんつって思うのは考え過ぎか。

・・・・そういえばかつての大歌手、ビルギット・ニルソンもギャラがウルトラ高額でみなさん苦労なさったとかそうでないとか・・・ホホホ、などと考えながら今度は近所の本屋Book 1stに行ってみたが、なんとその噂のビルギット・ニルソン自伝が翻訳されて棚に並んでいるではないか!これは買わんければいけん、と手にとってレジに進みかけ、ふと値段を見てあまりの高さにピウと/秋風が私の心に吹いて/そっと本を棚に返した秋の/ゆふぐれうつりにけりないたづらに。字余り・・・。

いや、そのうち買いますけど。ていうかネトレプコの方はすでに買いました。

気持ちをしっかり

2008年10月14日

病は気持ちからやってくるとか。私は気の持ち方がよいのだかどうだか、滅多と風邪を引いたり体調を崩したりしないのであるけれども、それにしても、心の持ちようと言うのは精神的も肉体的にもおおきに影響をするのではないかと考える今日この頃である。ま、たとえばタバコ。ところで、私はタバコをやらないし今後やる事もないであろうなと思っている。極端なまでの嫌煙家ではないけれども、積極的にやってみたいと思うわけではない。基本的には避けたい。

で、タバコは健康に悪いという。ま、タバコに関しては気持ちの問題で病気になるならないが決まるわけではないのだろうけれども、音楽をやっている人の間ではこのタバコというのはなかなか繊細な問題を抱えている。音楽家の間でタバコはどのように考えられているかご存じであろうか。私のこれまでの体験に基づいた偏見で言うと次の通り。

鍵盤楽器=まあ、モクモクオッケー。灰が鍵盤に落っこちない程度にやります。時々落っことすけど。弦楽器=モクモクモクモク吸いまっせ。だって音程が合わなくてストレスだもん。指揮者=バーンスタインに習いいい、吸えやあ!!吸ええええ!作曲家=自宅には五線譜帳と灰皿しかありませんし家から出るときって言うのは自販機にタバコを買いに行くときだけです。不健康ですって?何が?

とまあ、そのようになっている(あくまで偏見)。しかし、管楽器はどうか。吸うと演奏に影響がありそうなものだが、これが意外にも吸うんである。管楽器は肺活量が落ちるから吸っちゃだめだなんてよく聞いたものだけれども、意外なことにまあまあの確率の人が吸っている。誰とは言わぬが世界第一級のソリストだってオーケストラ団員だってスパスパと、やる。へえ、と感心すると、そんなの(肺活量に影響することは)ないねと、もわ、とやる。なかなかかっこうよく決まっている。なお、金管と木管の間に吸う率の差は特にないように思われる。おもしろい。

しかし、声楽家はどうか。のどを酷使する職業である。さすがにないだろうと思いきや、これが意外にである。私は昔、バリトンとかバス歌手は、吸えば吸うほど、また(酒を)飲めば飲むほど声が低くなっていい声がでると聞いて呆れた事があるのだが、最近になって、誰とは言わぬがある著名なテノール歌手(イギリス人。折に触れベルリン・フィルなんかとも共演しているクラスの人)がヘビースモーカーであると聞き、また実際に駅ホームでスパーっとやっているのを見、腰を抜かした経験を持つ。ななななななんであなた、そんなピュアーなヴォイスーをお持ちなのに、煙モクモクーで大丈夫ーなんですか?と私はすっ転んだ。

この御仁は、コンサート直前にガンガン声を出すことも気になさらぬようで、本番4日前からはピタッとしゃべることすらやめてしまう、なんていう歌手のことをふふんと鼻で笑っていた。「スポーツ選手が試合前何日も体を動かさなかったら筋肉が落ちちゃうでしょうに」。結論として、なんだかようわからんけれども、病は気からなんであることだよなあ、なんつって感じるのは私だけではないと思うのだけれども。